丹波市春日町野上野で、但馬牛の繁殖農家を営んでいる水原彩子さんと聡一郎さん夫婦。

母牛を飼育して子牛を産ませ、その子牛を売る「繁殖農家」として、彩子さんの母方の祖父母から母牛を引継ぎ4代目として就農し、6年目となります。日々、母牛と子牛のお世話をしているおふたりにお話を伺いました。

 

(但馬牛の繁殖農家の水原彩子さん)

 

 

 

遠く離れた、秋田での地域おこし協力隊員から孫ターンを経ての就農

 

 

丹波市へ移住するまでのおふたりは、丹波市とは遠く離れた秋田県で地域おこし協力隊員として活動していました。彩子さんは京都府、聡一郎さんは神奈川県出身で、地域おこし協力隊の活動をきっかけに知り合いました。

当時、丹波市では彩子さんの母方の祖父母が江戸時代から続く生業として、牛飼いを続けていました。しかし、そのお2人が高齢となり入退院を繰り返していたことで、生活の手助けと、牛たちのお世話も必要な状況となりました。そこで、彩子さんは2015年から単身で丹波へ移住することを決意しました。その一年後に聡一郎さんも移住し、2019年から本格的に牛飼いの仕事をスタートさせました。

 

(ご主人の水原聡一郎さん)

 

彩子さんが子どもの頃、お盆やお正月になると丹波市に遊びに来ていたため、牛と触れ合う機会は幾度もあったそうですが、「当時は牛舎の通路が今よりも狭く、体の大きな母牛との距離が近く怖さの方が勝っていた」と彩子さん。実質未経験の牛飼いの世界に、いきなり飛び込むことになりました。

 

 

お祖父さんが他界されたあとに、彩子さん夫婦は正式に事業継承することとなりましたが、繁殖農家としての経験や知識が十分ではなかった為、周りの同業の先輩をはじめ多くの方々に教えていただいたのだとか。周囲からの手助けのもと、試行錯誤しながらも牛たちと向き合い続け、母牛6頭のスタートでしたが、産まれた子牛を母牛にしたり、セリ市で良い血筋の子牛を購入するなど、少しずつ地道に増やしていき、今では母牛を17頭にまで拡大させていきました。

 

(3代目時代から引き継いだ1番古株の母牛。11産目を迎える”よしなつ”ちゃん)

 

 

命を預かることへの覚悟とは

繁殖農家は母牛を健康的に飼育し、子牛をその体内に宿すことから始まります。母牛は3週間に1回のサイクルで発情し、種付けを行える時間は大変短いとのこと。機会を逃さず、少ない回数で種付けし、妊娠すると1年1産となりますが、母牛の体調や、気候によっては妊娠しにくいこともあります。全ての母牛が無事妊娠するまでは苦労も多く、与える餌を変えてみたりなど、コンディションが整うように牛たちの様子を見ながら、飼育をされています。

 

 

 

(3種類ほどの牧草を混ぜて健康に育つように調整します)

 

種付けし妊娠したら285日前後の期間を経て、無事に出産を迎えられるようにお世話を続けます。しかし、子牛が無事に産まれたとしても、急な容態変化が起きることも稀ではありません。また、但馬牛は他県の牛と比べてもとりわけ体も小さく、弱いとされています。その為、産後1週間は安心することができず、緊張が続きます。子牛がセリ市場で肥育農家さんの元へ行くまでの9か月間で、元気で大きく育つように手をかけて育てていきます。

生き物や命を預かる上で大変な事がたくさんあることは想像がつきますが、実際、水原さん夫婦が牛と向き合うにあたっての想いを伺ったところ、ある出来事を聞かせて下さいました。

祖父母の元で牛と関っていた頃の話ですが、当時は彩子さん自身の経験や知識が少ない中で事故が起きてしまったそうです。

元気に産まれた子牛は、だんだん元気がなくなっていき、獣医さんに診てもらったのですが亡くなってしまったのだとか。当時はその理由が全く分からず、何をしてあげればその子牛をちゃんと生かすことができたのかとたくさん悩み、「人任せにすることなく、自分でちゃんと牛のことを分かってあげられるようにならなければいけない。」と強く決意したそうです。そこで、地域の先輩はもちろん、JAの畜産センターや県や市の職員さん、獣医さんなど多くの方に分からないことは何でも質問し、知識を増やしていきました。

牛飼いとは命を預かる仕事だという責任と覚悟を、命を持って学んだと彩子さんは話してくれました。

 

 

(出産を目前に迎えた母牛)

 

日々、牛と向き合い続けている水原さん夫婦。

話を聞いていく中で、もう一つ印象的だった話があります。2年前、予定日より3週間早産になってしまった子牛がいました。母牛がはじめてのお産で、心と体の準備ができていなかったためか、育児放棄が起きたそうです。子牛は立ち上がる力もなく、体温も低下し、みるみるうちに衰弱する様子をみて、2人は子牛を家に連れて帰り、目の届く暖かい部屋で治療とケアをしながら育てました。数日後、子牛は元気になり、その後無事にセリ市で肥育農家さんの元に旅立っていったそうです。繁殖農家として、絶望的な状況の牛一頭にそこまですることの必要性を問われることもあるそうですが、水原さん夫婦は「素人だからこそ、常識にとらわれすぎず、いい部分は残し、私たちなりの牛との関り方をしていきたい。そこには終わりがなく正解もない」と、力強く話してくれました。

水原さん夫婦には命に対する責任感だけでなく、牛に愛情をたくさん注ぎながら牛と関わることを大切にしている様子も感じられます。

 

 

(生まれて2週間ほどの子牛にミルクを飲ませる彩子さん)

 

牛は1頭1頭性格が違い、個性があります。人間が好きな子や苦手な子、育児が好きな牛や苦手な子もいるのだそうです。牛それぞれにあった接し方をしているのだとか。

言葉が通じない分、彩子さんは逆にストレスがないのだそう。「言葉が通じてしまうと変に考えてしまうけれど、牛たちはそのまま素直に答えてくれる」と笑いながら話す彩子さんがとても印象的でした。

 

 

 

 

繁殖農家としての今後

母牛は妊娠、出産のサイクルを崩さないように健康的な体にすることが重要です。水原さんのところでは牧草を3種類ほど混ぜて与えます。また、家畜用の稲(WCS)や牧草を生産し、牛たちが美味しく喜んで食べてくれるように工夫されています。今後は自家栽培の牧草をさらに増やしていきたいとおっしゃっていました。

これからの目標は、「肥育農家さんに喜んでもらえる牛」を育てたいと考えているそうです。妊娠してから子牛がセリ市場に出荷するまで約1年半、そこから肥育農家のもとで2年ほどかけて肥育され、人の口に入るお肉になるまでには足掛け4年弱ほど時間がかかります。そうしてはじめて、その牛のお肉としての成績が明らかになり、肥育農家さんに評価してもらうことができるのです。よいお肉になってくれたら、その肥育農家さんは「水原彩子」の名前を覚えてくれ、また子牛を買おうと思ってもらうことができるのです。そのためには、子牛がすくすく育つこと、母牛が健康でいることが大切だとおっしゃっていました。

日本にいる牛の中で、1000年以上も前から記録が残り、兵庫県の中だけで血統が受け継がれてきた但馬牛。その大切に守られてきた牛たちを、未来に引き継いでいく牛飼いになっていきたいと水原さんご夫婦は最後に話してくれました。

 

 

 

但馬牛 繁殖農家 水原彩子

所在地:兵庫県丹波市春日町野上野