丹波市市島町の前山地区に橋本慎司さんが移住してきたのは1989年(平成元年)。当時は移住者の新規就農はとても珍しく、丹波市内では他にモデルケースもありませんでした。なぜ、当時誰も思いつかなかった選択肢を、橋本さんは先駆けて選ぶことができたのでしょうか。橋本さんのこれまでの歩みと、今の暮らしに迫ります。
 

(橋本慎司さん)


 
 
 

ハノーバー、ブラジルをはじめとした海外経験を礎に


 
橋本慎司さんは就農以来30年以上有機農業に取り組み、現在は少量多品目で年間50品目を栽培しています。出身は広島県広島市。エンジニアの父親に勧められる通り中高一貫校に通い、勉学に励む学生生活を送っていました。ある時広島市の平和使節団として被爆者の写真を持って姉妹都市のハノーバーに行き、ドイツ人宅に滞在しました。そこで橋本さんが見たのは、日本人のようにあくせく働かなくとも豊かに、余暇も楽しんで過ごしているドイツの人たちの姿でした。それはそれまで信じてきた、「一心にひたすら頑張り続ける」という価値観に一石を投じられた経験だったといいます。さらに、父親の転勤についていく形で、高校時代をブラジルで過ごしたこともまた、新たな価値観を得る機会となりました。日本のように国の仕組みや制度が成り立たないこともあるブラジルでは、将来のために備えていても、その備えが立ち消えてしまうことがありました。そのため国民性として、将来に備えて今を犠牲にするのではなく、今、この瞬間を最高に楽しむ。その姿勢は今、農業を心の底から楽しむ橋本さんの姿勢にも繋がっています。
 

 
 
 

消費者と生産者の支え合いに感銘を受け有機の里いちじまへ


 
ブラジルで空手を始め、トーナメントでも勝ち上がるようになった橋本さんは、空手の本場ということで改めて日本に帰国します。日本で武道に勤しんでいた頃、大学でインド思想学を学び、また自分と全く違う価値観を持つガンジーの非暴力思想に興味を持ち、単身インドへ。身軽に、グローバルに、新たな価値観に触れるたびに認識をアップデートし続けた橋本さんはやがて、「生産する」ことに魅力を見出します。さらに就職先の新人研修で市島の有機野菜を購入する消費者グループに出会い、生産者との交流会について行って生産者と出会ったという経験から、市島で有機農業をしたいと考えるようになりました。
 

 
1989年当時、今のように新規就農での移住はほぼ皆無、移住を決めても住まいの斡旋どころか、役場からも移住での新規就農を断られたと言います。しかし橋本さんの気持ちは全くぶれず、また大学時代に東京から広島まで野宿をしながら徒歩旅行をしたという経験も自信となり、「テントを張ってでもやる!」と強く訴えました。その結果、一反の田んぼと畑を得て、地域の一人暮らしのおばあさんの家に間借りする形で農業がスタート。当時は「どうせすぐ辞める」と思われていたそうですが、それから30年以上市島町で有機農業のトップランナーとして活躍しつづけています。豊富な海外経験に裏打ちされた語学力を活かし、国際有機農業運動連盟IFOAMにアジア代表理事として出席、有機農業の基準を決めるプロセスにも参加しました。
 

 
 
 

地球の今と、海外からの生の声から見据える、これからの有機農業


 
橋本さんが農地を構える丹波市市島町前山地区は、2014年の丹波市豪雨災害で壊滅的な被害を受けました。橋本さんも畑は流され、家はどろと瓦礫にまみれ、一度は絶望したといいます。その時に橋本さんを支えてくれたのが、これまで付き合い続けてきた消費者の人たちや有機農業の仲間たちでした。毎日誰かがボランティアに来続けて、2か月程度で復元したというのですから驚きです。沢山の人の支えがあったからこそもう一度ここでやってみようという希望を持てた橋本さんですが、豪雨災害の経験から、「これからの有機農業」について大きな方針転換を試みることにもなりました。当時の橋本さんは安定供給をめざして品目を絞る方法に転換する途中でしたが、異常気象が続く今の地球で、柱の数が少ないと農業は立ち行かなくなってしまうと身をもって実感。現在、橋本さんが少量多品目のスタイルを取りつづけているいるのは、この経験がもとになっています。
 

 
現在は有機野菜の栽培と平飼い鶏卵、合鴨農法で米を栽培している橋本有機農園。米は販売用ではなく、個人用・研修生用です。これまでに数多くの研修生を受け入れ続けてきました。その中には、海外からの研修生もたくさんいます。取材時も、ベルギーから来た19歳の青年が研修を受けていました。有機農場を核とするホストと、そこで手伝いたい・学びたいと思っている人とを繋ぐ「WWOOF(ウーフ)」にホスト側として参加することで、海外からの農場手伝いを受け入れる機会が更に増えたと言います。食事の時間は毎回、異文化コミュニケーションとディスカッションの場になり、橋本さんはそこでまた、生きた海外の情報を得ることができるといます。生きた新しい情報をもち、橋本さんの農業は日々アップデートを続けています。今後はインバウンド需要に応える農業を展開していきたいと語る橋本さん。これからも丹波市の有機農業におけるモデルケースとして注目されています。
 

 
 
 

橋本有機農園

所在地 丹波市市島町下鴨阪