丹波市山南町の和田地区は砂礫を多く含んだ水捌けの良い地質の土地が特徴的で、古くからオウレンやセネガなど薬草の産地として栄えてきました。
しかし50年ほど前の日中国交正常化により、中国から大量の漢方が輸入されるようになると、価格が急落。薬草の生産農家も減少の一途を辿ります。
そんな中で新たな活路として取り組まれてきたトウキ生産。山南町薬草組合トウキ生産部会長を務める後藤康介さんにお話をお聞きしました。
「漢方の里」としての地域づくり
山南町の和田西部地区は、薬草栽培の歴史は古く、特にオウレンは江戸天保年間から栽培されていたといわれています。最盛期は日本一の生産量を誇り、「薬草王国和田村」と全国的に知られ黄金時代を築きました。昭和27年には約42haもの農地でオウレンやセネガなどの薬草が栽培されました。
しかし、昭和47年以降日中国交回復等により中国から安価な漢方が入ってくるようになると、これまで主流として栽培されてきたオウレンなどの薬草の単価は大幅に下落することになります。また、オウレンの栽培は種を蒔いてから定植に2年、収穫までには5年の歳月がかかり、収穫後も根の処理や乾燥に手間を要するため、価格の低迷が栽培減少に急速に拍車をかけました。
こうした状況の中で新たな柱として注目されたのが多くの漢方薬に調合されている「トウキ」。
平成元年頃にはオウレンの栽培農家はほとんどなくなり、新たな薬草として栽培期間が短く高い需要が見込めるトウキに着目し、奈良県を原産とするヤマトトウキを導入してきた薬草組合。地域をあげて取り組んできた「漢方の里づくり」。そしてそこに整備された薬草薬樹公園の施設内には、トウキの薬草風呂や、加工調整施設も完備し、トウキなど薬草振興にも力を入れて取り組みます。
平成の健康ブームの時代には、大型バスで大勢の観光客が見えていた薬草薬樹公園。しかし時代と共に、ブームも終わり、農家さんの高齢化も進んできます。漢方薬としてトウキの根の栽培は機械化から取り残され生産規模は減少、「漢方の里」に陰りがみえはじめました。
しかし、平成12年には薬事法が改正され、葉の部分に関しては野菜同様に取り扱われ自由に販売できるようになりました。また、トウキ葉の多方面での活用方策が重要課題のなか、兵庫医科大学の学生たちが薬草を広げるために活動している「薬活オウルズ」との出会いが転換期に。
野菜としても食べられる薬草の葉
入浴剤として使われていたトウキの葉。
「薬活オウルズ」とも連携を行い、食用としての活用方法もたくさん考えられるようになりました。
セリ科のトウキは、葉をそのまま食べても癖がなく、サラダのアクセントにしたり、スープに入れたり、ジェノベーゼにしたりお肉に添えたり、若いアイデアと感性で様々な食べ方を考えてくれています。葉っぱを乾燥したお茶や食品、乾燥しさらに粉末にしたパウダーなど、いろいろな製品が多数生み出されています。
需要のある利用方法と生産者が育てやすい栽培方法
従来の漢方薬として使われるトウキの根は、3〜4月に種を蒔き、翌年の3月に苗を定植し、その根を12月に掘り起こして1月に湯洗い、3月まで乾燥調製し出荷します。重労働かつ大変寒い時期の作業です。
トウキの根に比べトウキの葉は年に3回ほど収穫ができ、出荷作業が簡単なため、トウキ葉を生産していくことになりました。
トウキ葉は、入浴剤、お茶、お菓子などの添加剤としての需要が伸びています。
利用方法によって小さな葉の方がいいか大きな葉っぱがいいのか移植せずにそのまま育てたらどうなるか。トウキ葉の出荷先の要望も踏まえ生産者の負担がなく、効率よく育てる方法をトウキ生産部会のみなさんは研究されています。
地域のアイデンティティ存続へ
山間で育てていることが多い薬草の畑。近くの別の畑には、イノシシが掘った大きな穴がありました。トウキは独特の匂いがあるため獣害には遭いにくく、トウキの畑の中には動物は侵入してきません。しかし、トウキの葉にも天敵がいます。それがアゲハ蝶の幼虫。放っておけば葉全部食べられてしまうことも少なくありません。
生産者が少ない作物は、認定された農薬もほとんどありません。トウキに使える農薬は、兵庫県と奈良県が共に登録した1種類くらいではないかとのこと。薬草はほぼ自然栽培に近い形で生産されています。
健康ブームの際には、薬草薬樹公園にたくさんの人が訪れ、トウキの供給がなかなか追いつかないこともありました。需要に追いつこうと生産量を増やした際には、各農家での加工処理の品質が担保できなかったこともあったそうです。しかし、農産物処理加工施設が設置されたことで、安定した乾燥調製などの加工ができるようになり、安心して出荷できるようになったそうです。
需要と供給のバランスも取りながら、販路拡大と生産者の活性化に日々努められています。
元々は組合の事務方だけをしていたのだけれど、生産者の高齢化で気がついたら生産者が6-7軒になってしまっていた。と話す後藤さん。兵庫医科大学との連携によりトウキの認知が広がり、今は若い農家さんもトウキに興味を持たれ現在15軒ほどの農家さんが生産部会に属しています。地域のアイデンティティとして歴史のある「漢方の里」。多くの地域でいろいろな生産品に取り組んだ話はよく聞きますが、残っている地域はほんの一部です。トウキ生産部会のみなさんのように危機感を持ち地域全体の発展に尽力していただける方々がいるからこそ、地域の特産品は維持されているのだと強く感じました。
兵庫医科大学 薬活オウルズ