農の学校第 5 期の卒業生として、丹波市山南町で就農した野条太一さん。
サラリーマンから一転、新しい場所での挑戦と、土に触れ、山と親しみながら自分の生き方を形にしていく、そんな野条さんの行動の元にある想いを聞かせていただきました。

病気が気づかせてくれた健康の有り難さ
兵庫県川西市で生まれ、宝塚で育った野条さん。
結婚後は奈良県生駒市に居を構え大阪の印刷会社で約30年、営業マンとしてお勤めされていました。
時代はバブルの終焉期、働き盛りのサラリーマン生活を過ごします。
転機となったのは 40 歳の頃。
癌が発症し、治療後も経過観察の長い期間を過ごすことを余儀なくされます。
そうして、 日々健康の有り難さを噛み締めながら、定年後は農業でもしたいなとぼんやりと考えてい
た思いが次第に強くなっていきます。
世の中は段々とデジタルへの移行が進み、年々衰える体力と、両親の他界、そしてお子さんも成人し、コロナ禍の影響。
様々な要因が重なり、どうせやるなら動けるうちに「今しかない」と、農業の道に飛び込むことを決意します。
全日制で有機農業を学べる学校を探し、出会ったのが「丹波市立 農の学校」。
第 5 期生として 1 年間の農業カリキュラムを修了します。

実体験で学んだ技術と現実
講義は平日朝から夕方まででしたが、実際の農業には土日や祝日はありません。
雨の日も畑を確認しに行くし、作物が育つ時間はこちらの思い通りにはいかないものです。
夏場の作業は体力的にもとても厳しく、 また、雨が降らないと元気だった作物はどんどん萎れていきます。
学校で畑の実習をしていた時期がまさに水不足の夏でした。
水利権は田んぼが優先で、お米にも水が行き届かないのになかなか畑にまで水は回って来ず、作物は弱り害虫被害にも見舞われました。
水は蛇口をひねれば出てくるといくらでもあると思っていましたが農業における水の大切さを痛感し、そのことが農地を決める一手となります。
山南町阿草との出会い
農林振興課の方がいろいろな農地を紹介してくださり、いくつかの農地を見て回った際に出会ったのが山南町阿草地区を流れる阿草川。

そこから引かれている水の流れを見た瞬間に野条さんの心は決まりました。
そうして山南町の最東に位置する阿草の農地を拠点に野条さんの農業が始まります。
春日町から山南町和田の賃貸に引越し、 2 年阿草まで通いながら作業をしていましたが、令和8年 2 月に阿草の民家を契約し、暮らしも農も阿草に根づいた生活が始まります。

当初は雑草が生い茂る耕作放棄地だった土地を耕し、緑肥を使った土作りして、葉物を中心に、ほうれん草や小松菜、春菊、ルッコラなどの作物を栽培しました。
直売所に出してみると、 他の方があまり作っていないような作物がよく売れることがわかりました。
菊芋の栽培にも少し手応えを感じ、作付けを増やそうかと考えられています。
理想は「また食べてみたい‼」と思ってもらえる野菜を育てていくこと。
林業や神戸便など農業以外のマルチワーク
農の学校を卒業してから、野条さんは農業以外にも様々な仕事を行なっています。
そのひとつは、「いちじま丹波太郎」の神戸便。
有機農家の直売所となっている「いちじま丹波太郎」では、地元の農家さんたちが作った新鮮な野菜を神戸の消費者へ届けており、野条さんは火曜日を担当しています。
早朝からの仕分けや日中の販売、 神戸までの往復は体力を使う仕事ですが、 様々な農家さんたちとの繋がりや出荷野菜の状態など勉強できることは多く、常連の方とのコミュニケーションや売れる現場を知る大切な学びの機会になっているのだと話します。
もうひとつは、山南町の方に誘われて参加した「木の駅プロジェクト」。
薪活と称して山の整備と地域内の資源循環を目的とした林業で、山に入り木を伐倒したり薪を作ったり、その薪を丹波市内に配達したり、冬場を中心に月に 2 回ほど活動をしています。
チェーンソー講習を受け伐倒の経験を積んでいきます。
現場では同じ状態の木は無く、大きさが違ったり、曲がっていたり、足場が悪かったりと、毎回毎回が真剣勝負。緊張しながらも、思うようにビシッと伐倒できたその瞬間の達成感に、コツコツと地道に続ける農業とはまた違う、大きな魅力を感じるようになっていきます。


そういった様々な活動を通じて、多種多様なベテランの方にも多く出会い、色々なことを教えていただきながら、農業に限らず経験を積まれる野条さん。会社勤めでの営業マン時代とはまた別の、人生を悔いなく生きられるような生活の基盤を構築し始めています。
半農半林+X
丹波市で暮らすようになってから地域のつながりをとても強く感じている野条さんは「今 55 歳、体が動いて働けることができるのはあと 20 年くらいではないでしょうか」と。これまでは仕事優先でボランティアや地域のことなどにほとんど興味はありませんでしたが、そうして数々の取り組みや人との出会いを重ねる中で、若い人や高齢者がお互いに助け合うことの大切さを実感します。自分も何か地域にとって役に立てることがあればしていきたいと考えるようになりました。「周りにはもっと高齢な方々がたくさんいて、自分の年でも若い人が入ってきたと言ってもらえます。丹波の良い部分がもっと若い子たちにも伝わるといいですね。 」
また、これから野条さんたちの団塊ジュニア世代が定年を迎えるにあたり、地方で暮らしたいと考える人が増えるのではないかと考えられています。そんな時に気軽に話ができたり相談に乗れるような存在であれたらいいなとも感じているそう目標はひとりでの小さい農林業を地道にやっていくこと。 農業と流通、そして林業に加えて、X にあたる部分は、地域や世の中への貢献。そうした野条さんの日々の積み重ねが、他の誰かの小さな助けや道標へとつながっているのかもしれません。












































